カートをみる マイページへログイン ご利用案内 香遊オンラインお問い合せ お客様の声 香遊オンラインサイトマップ
RSS
掛け軸の専門店 香遊オンラインへようこそ! 店長が厳選した掛け軸 約350点の品揃え!

瑞雲。

1月11日の午後、空に瑞雲が現れました。

瑞雲は、めでたいことの前兆として現れる雲のことです。

祥瑞の雲ともいわれます。

気象用語では環天頂アークというそうです。

一句 寒中に 妻と瑞雲 見上げたり てんちょう

瑞雲

≪瑞雲≫

瑞雲は、禅僧がよく揮毫される一語です。

瑞雲が、めでたいことの前兆として現れる雲だからでしょうか。

その真意は測りかねます。

隨縁、縁に随い、因縁の法のままに生きることを

「無心にして太虚(たいこ)に合す」といいます。

人間は無相であり無我です。

縁がはたらいて、行動し、生かされて生きている存在です。

目の前を移り行く現象に一喜一憂することなく

その場、その場で状況に則した行いをし

執着せず、サラリサッパリと生きて行きたく思います。

一句 寒の空 晴れ渡り 有り難きけふ てんちょう

ろう梅。

今年も、当店の庭の蝋梅(ろうばい)が咲き始めました。

一年で最も寒い、この寒の時期に咲く蝋梅は、

その可憐な花と、甘い香りで癒してくれます。

一句 厳しさに 耐え咲き初めし 蝋梅よ てんちょう

ロウバイ

≪ロウバイ≫

釈尊は、この世は「耐えるところ」「我慢するところ」であると

はっきりおっしゃっておられます。

この世のことを「娑婆(しゃば)」といいますが

仏教語で耐えるところ、我慢するところという意味です。

耐えることを、仏教では「忍辱(にんにく)」といいますが

忍辱は、釈尊が説かれた六波羅蜜(ろくはらみつ)の中の

3番目の徳目です。

耐えること、我慢することは、人間を磨く上においても

大成する上においても必要なことだと思います。

現在のコロナ禍も耐え忍んで生活していくしかありません。

そして、コロナ禍の今だからこそできることを

知恵をしぼって実践していく…

朝の来ない夜がないように、コロナ禍の終息がないことはないと思います。

人を救うのは人です。

人類の叡智を信じ、常に希望をもって

今を真摯にそして精一杯、生きていきたく思います。

一句 コロナ禍を 耐え忍びつゝ 初薬師 てんちょう

新年あけましておめでとうございます。

令和3年元旦を迎えました。

日本列島が寒波に覆われ、当店のある岐阜県関市でも

雪のお元日となりました。

雪は大地を浄めてくれます。

一句 雪という 純白にみな 浄められ  てんちょう

2021年 元旦の雪

≪当店の雪の庭≫

年が改まり、令和3年になりました。

昨年は、コロナ禍という未曽有の災厄に遭遇した一年でした。

今年は、何とか明るい兆しが見えてこないかと祈るばかりです。

平常心是道(びょうじょうしんこれどう)という禅語があります。

「どんな時にも平常心で生きることが道すなわち悟りである」

という意味です。

しかし、そんなにたやすいものではありません。

人間は弱い存在です。

置かれた環境によって、心の持ちようもころっと変わってしまいます。

ですから、常に善根を積むよう心がけ

自分のこころの中に、しっかりとした核を持つ。

それが、もう一人の自分・自分の中の自分、

つまり禅のこころです。

禅のこころは、無作無心・融通無碍(ゆうづうむげ)であり

はからいを捨てた、あるがままのこころです。

至道無難禅師(しどうぶなんぜんじ)は、

「生きながら 死人となりて なり果てて

思いのままに するわざぞよき」

という言葉を残しておられます。

生きながら死ぬとはどういう意味か…

相対的な思慮分別を超越することです。

つまり、有無・損得・是非・善悪といった一切の分別を超越して、

無になりきり、無の境涯から一切の行動を運び出す。

これが、「思いのままにするわざぞよき」です。

人間は、損得に縛られて生きています。

その縛りを解き放ち、理屈を超えた境涯に至ったとき

禅門ではこれを見性(けんしょう)といいます。

一句 元日や 己のなかに おのれあり てんちょう






今年一年どうもありがとうございました。

今年も早いもので、一年が暮れようとしています。

今年は、コロナ禍で大変な一年でした。

どうか、令和3年は新型コロナも収束し、

平穏な日々が戻りますように…

と祈るばかりです。

この店長日記では、当店の庭に咲く花たちの写真をおもに紹介し、

店長のつたない俳句を織り交ぜて、

禅の思想にも触れながら書かせていただいております。

一句 恙なき 暮らしに感謝 年の暮れ  てんちょう

炉開き

≪炉開き≫

山茶花

≪山茶花≫

万両

≪万両≫

亡き母が、茶人だったので

庭のあちこちに何種類かの椿が植えてあります。

「炉開き」という椿は、11月頃から咲き始めますので、

お茶の炉開きのときに、茶花として活けられるそうです。

そこから「炉開き」という花の名もつけられたそうです。

普通の椿にくらべて、花が小さく「詫び」を感じさせてくれます。

私の両親は、他界してこの世にはいません。

人間は、いづれ必ず死んでいかねばならぬ存在です。

今日という一日は、己の人生のなかの唯一の一日です。

明日があるじゃないかと言われそうですが、

明日は明日、今日は今日です。

今日をおろそかにして明日はないと思います。

一期一会の今日を、日々是好日の心境で過ごして参りたく思います。

一句 短日を でき得る限り 使い切り てんちょう




紅葉。

当店に隣接している岐阜県百年公園の紅葉が

見頃で、美しいのでUPしました。

ちょうど当店に隣接している場所に楓が植えられており

居ながら紅葉狩りを楽しめます。

一句 健やかな 暮らし今年も 紅葉狩り てんちょう

百年公園の紅葉

≪紅葉≫

百年公園の紅葉

≪紅葉≫

紅葉を楽しめる期間はたいへん短いです。

あっという間に変色して散っていきます。

夕日に映える紅葉は美しいものです。

そして、儚いものです。

儚いからこそ、今年も紅葉に出会えたことを感謝し、

自分もこうして生かされていることを真摯に有り難く思います。

禅では、人生は「畢竟夢なり(ひっきょうゆめなり)」といいます。

過ぎ去ってしまえば、すべて夢の如し

ということです。

しかし、だからこそ今を大切に、丹精込めて生きることの大事を

問われているようにも思います。

今年もあと一か月になりました。

コロナ禍で大変な年でしたが、

希望をもって過ごして参りたいと思います。


報恩講・養林寺第九世住職継承法要

11月21日(土)当店の檀那寺である

郡上市白鳥町の真宗大谷派 東林山 養林寺で報恩講と

第九世住職継承法要が営まれました。

私(店長)は、司法書士の三輪さんと二人で

お内陣の役を務めさせていただきました。

一句 日本晴れ まさに報恩講 日和  てんちょう 

養林寺第九世住職継承法要

≪ご本尊 阿弥陀如来立像≫

養林寺第九世住職継承法要

≪ご開山 宗祖親鸞聖人≫

養林寺第九世住職継承法要

≪東林山 養林寺 山門≫

住職継承法要では、前住職と新住職の表白が読まれたあと

厳かな勤行が本堂内に響きわたり

身が清められるような不思議な感覚を覚えました。

前住職のご苦労を称え、新住職の就任を心よりお祝い申し上げます。

一句 小春日や 就任祝う かのごとく  てんちょう 

小春日和。

ここのところ小春日和が続いています。

今日もよく晴れて、たいへん穏やかな日和です。

暦の上では冬に入りましたが

暖かな日が続いています。

一句 突き抜ける コバルトブルー 空小春  てんちょう

小春日和の空

≪小春日和の空≫

「狭く生きようと わが衷(うち)にあふれる 新緑無限」

井伊文子さんの詩です。

自分のなかに、新緑のような瑞々しいこころを

つねに保ち生きて行けたら素晴らしいと思い

ご紹介させていただきました。

このことを道元禅師は「行持(ぎょうじ)」と

おっしゃっておられます。

「行持」とは仏道を修行継続して倦怠(けんたい)せぬこと。

禅の修行を深めていきますと

己の救いや悟りといったものを外に求めるのではなく

自己の心中にほとけ(仏性)があり、

己のなかに救いがあることが観念ではなく

実感として解るようになります。

このことが、井伊文子さんの詩の中の

「新緑無限」なのではないかと思うのです。

新緑無限の生き方ができると

「日々是好日(にちにちこれこうにち)」の

境地に至ることができるのではないでしょうか。

一句 生かされて ゐることの意味 問ひ小春 てんちょう

秋草。

秋も深まってまいりました。

秋の草花が、目を楽しませてくれます。

花は、花の命をいっぱいに輝かせて

しかも無心に咲いています。

一句 生命の ひとしずくなり 杜鵑草(ほととぎす) てんちょう

ホトトギス

≪ホトトギス≫

ツワブキ

≪ツワブキ≫

明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)という

禅語があります。

直訳すると、あきらかに堂々と隠すことなく

あらわれている。

という程の意味になります。

いったいなにが明らかなのか…

真理や悟りや仏教の奥義といったものは

どこか遠いところにあるように思われがちですが

実は、自分の脚下、心中、身の回りに

明歴々とあらわれている…ということです。

生きとし生けるものはみな

宇宙の大生命のひとしずくをいただいて

生きているわけですから

宇宙の大生命つまり如(にょ)「これを仏性という」

が宿っているわけであり

己のなかにすでに仏性が存在しているということになります。

野辺に咲く一輪の花にも

大生命のひとしずくが宿り、いのちいっぱいに咲いているからこそ

美しいのではないでしょうか。

山川草木すべてが私たちに真理を語ってくれているといえます。

自然の佇(たたず)まいから、真理を学ぶ。

「禅」の一側面であります。

天高し。

秋晴れが続いています。

秋は、空気が澄んでいて空も山もくっきりと見え

見ている方のこころまで、澄んでくる気がします。

一句 秋天に 不思議な安堵感覚え  てんちょう

秋の空

≪秋天≫

澄んだ青空を眺めていると

不思議とこころが安らぎます。

「平歩青天」(へいほせいてん)

という禅語があります。

「平歩」とは、おだやかであせらず

悠々と歩くことであります。

一片の雲もなくカラリと晴れ渡った大空の下を

悠々と歩くように、人生をのびのびと生きること。

順境にあって有頂天にならず。

逆境にあってあせらず、くじけず。

平常のマイペースで生きたいものです。

秋彼岸。

今日は、めっきり秋らしい日和になりました。

当店の裏庭には、秋海棠が咲いています。

吹く風も爽やかになりました。

一句  虫の音の中を愛犬との散歩  てんちょう

秋海棠

≪秋海棠≫

今年の夏が、あまりにも暑かったので

秋の訪れに安堵します。

夕暮れになると辺り一面、

アオマツムシの大合唱です。

季節の移ろいを楽しみながら

今を大切に、今日という一日を大切に

過ごしていきたいと思います。

ページトップへ