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高澤観音 御開帳。

関市下之保の日龍峯寺 高澤観音で国重要文化財の

多宝塔の御開帳があり参拝に行ってきました。

多宝塔は鎌倉時代初期~中期に北条政子が寄進、建立したもので

鎌倉時代を代表する全国屈指の建造物で

約800年を経過した文化的遺構です。

高澤観音 多宝塔

≪多宝塔≫

高澤観音 多宝塔

≪多宝塔≫

期間中は敷地内に入り、内部も観られました。

多宝塔内部に安置されている胎蔵界の大日如来様にお参りさせていただきました。

多宝塔の御開帳は68年ぶりで、まさに秘仏といえる大日如来様に

まみえ結縁させていただきました。

高澤観音 秘仏 胎蔵界 大日如来

≪胎蔵界 大日如来坐像≫

秋晴れに恵まれ、妻と一緒にお参りすることができ

一期一会のひとときを過ごさせていただきました。

どうもありがとうございました。

一句 時を越え 秘仏にいのり 秋天下  てんちょう 




初秋。

季節は移ろい変化して、朝晩は秋の気配が漂うようになりました。

当店の裏庭には、秋海棠が咲き、秋の訪れを感じさせてくれます。

夜はコオロギ、マツムシが鳴き風流です。

一句 露宿し 朝日に輝ける野草  てんちょう

秋海棠

≪秋海棠≫

秋海棠

≪秋海棠≫

秋は、思索の季節です。

己事究明(こじきゅうめい)、己とは何ものか。

これを極めることが禅の目的の一つです。

人間の眼は外に向いていますから、人のことはよく見えても

自分のことはなかなか見えません。

秋の夜長こそ己事究明する絶好のチャンスです。

己の人間性を磨き、人格を高めていけるよう精進努力していきたいものです。

一句 露の世に 己を磨くための禅  てんちょう

朝顔。

ブルーの朝顔が咲き継いで、眼を愉しませてくれます。

観ていようと、いまいと、朝顔は無作無心に咲いてくれます。

ほんの僅かな花の命ですが、精一杯咲いています。

今ここを命いっぱい生きることの大事を教えてくれます。

一句 一座終へ 一輪のあさがお 萎む  てんちょう

朝顔

≪朝顔≫

「花はなぜ美しいか 

一筋の気持ちで咲いているからだ」 八木重吉

花には人間のようなはからいがなく

ただ咲きたいという一筋の気持ちで咲いているから美しい。

と詩人 八木重吉は詩っておられます。

花の気持ちを解するこころの豊かさを

私も持ちたいと思います。

夏の花。

暑い真夏がやってきましたが

不安定な天気が続いています。

当店の庭には、夏の花が咲いています。

花たちは無心で咲いています、計らわず咲いています。

一句 無作無心 自然法爾に 夏の花  てんちょう 

トラノオ

≪トラノオ≫

トラノオ

≪トラノオ≫

ギボウシ

≪ギボウシ≫

ネジリバナ

≪ネジリバナ≫

桔梗

≪桔梗≫

私も、はからいを捨て、あるがままに生きたいものです。

人は、無我であり縁により生かされていると仏教は説きます。

自分という確固たるものは存在せず、様々な縁により変化していく存在が

人であると説かれています。

素晴らしい縁に出会うことができるよう

己を磨いていきたいと思います。


麒麟草。

父の日に吾子にもらった麒麟草が

今年も綺麗な花を咲かせてくれました。

もらったのは10年以上前の事です。

白鳥から移植した菖蒲も定着し咲いてくれました。

ご近所さんからいただいたクイーンエリザベスも咲きました。

一句 院生も 後期課程や 吾子の夏  てんちょう

麒麟草

≪麒麟草≫

菖蒲

≪菖蒲≫

クイーンエリザベス

≪クイーンエリザベス≫

カラ-

≪カラー≫

臨済宗の祖である臨済義玄禅師の言葉に

「随所に主と作れば 立処皆な真なり」があります。

どのような場所におかれても、主体性をもって生きるなら

そこは皆真実の場所である…という意味です。

主体性をもって生きることは、日々を大切に生きることです。

これは「日々是好日」に通じます。

そして一日一日を、丹精込めて生きることです。

よき人生は、日々の丹精にあります。

それは自分自身に邂逅する生き方です。

臨済禅師のお言葉から多くを学ばせていただいております。

初夏の花(2)。

初夏の陽がふりそそぎ、風光り、風薫る季節です。

鴬が、ホトトギスが啼き、川では川蝉が狩りをし、

すっぽんが甲羅干しをする姿が見られます。

まさに、生命の躍動を感じます。

当店の庭の花たちも次々と咲いていきます。

一句 ほととぎす 来しこと吾子に ラインせし  てんちょう

雪の下の花

≪雪の下の花≫

テッセン

≪テッセン≫

ナデシコ

≪撫子≫

マツバギク

≪マツバギク≫

ツツジ

≪ツツジ≫

この季節に相応しい禅語に、

「青山元不動 白雲自去来」(せいざんもとふどうなるも 白雲自ずから去来す)

という五言対句があります。

青山という本体は不動ですが、白雲が去来することによって

時々刻々相貌を変えていき、趣が増す。

自分は泰然としていて、縁に随い人や物がやってきてはまた過ぎ去っていく。

本当にできた人物というものは、外的条件がどのように変わろうとも、

あたかも富士山のように泰然として、

少しも真実の自己を動ずることなく、順境もとよりよし、

逆境また可なりと達観して、いささかも志操を変えることがありません。

富士山が去来する雲によってかえって趣を増すように、

逆境や難関に遭遇すると、いよいよその真価を発揮するものです。

自分もこのような「不動心」を養いたいものです。

※参考文献 「禅語の茶掛け 一行物」芳賀幸四郎著 

初夏の花。

歳月人を待たずといいますが

立夏が過ぎ、暦の上では夏(初夏)になりました。

風薫るよい季節です。

当店の庭の花も初夏の花になりました。

一句 初夏の色 とはかくなるや 空と森  てんちょう

カキツバタ

≪アヤメ≫

シラン

≪シラン≫

ガーベラ

≪ガーベラ≫

初夏は生命あふれる季節です。

老鴬が鳴き、川蝉が狩りをし、夜は梟が鳴いています。

田んぼからは蛙の合唱が止むことなく聞こえます。

宇宙の大生命を仏教では「如」といいます。

「如」は「仏性」でもあります。

すべて生きとし生けるものは、宇宙の大生命のしずくを宿しています。

悉有仏性(しつうぶっしょう)です。

「幽鳥弄真如(ゆうちょうしんにょをろうす)」という禅語があります。

禅では、幽玄な鳥(鴬など)は、真如をさえずっていると観るのです。

真如とは、宇宙の一切の存在をあらしめている根源的な実体

一切の現象を貫いている根本的な理法のことです。

一句 蛙鳴く 仏性宿す ものとして  てんちょう


晩春の花たち。

季節は移ろいで、晩春になりました。

当店の庭の花たちも、晩春の花々になりました。

惜春の思いがつのります。

一句 目に映る 景色に音に 春惜しむ  てんちょう

ミヤコワスレ

≪ミヤコワスレ≫

ホウチャクソウ

≪ホウチャクソウ≫

シャガ

≪シャガ≫

ツツジ(ピンク)

≪ツツジ(ピンク)≫

ツツジ(赤)

≪ツツジ(赤)≫

春は、生命萌え出づる季節です。

仏教では「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」と説きます。

山や川や草や木はことごとく仏性を宿している…

とはどういうことでしょう。

山川草木すべてが、宇宙の大生命のしずくを宿している。

宇宙の大生命とは、真如であり仏性です。

真如とは、宇宙のすべての存在をあらしめている根源的な実体であり

一切の現象を貫いている根本的な理法のことです。

このごろは、これをサムシング・グレートとも呼んでいるようです。

天地同根 万物一体、すべてが宇宙の大生命のひとしずくなのです。

一句 春愁や なぜこの現代に 戦争が  てんちょう

春の花たち。(2)

春爛漫です。

当店の庭の花たちが次々と咲いていきます。

今が一年で一番生命の息吹を感じる季節です。

今を大切に生きていきたいと思います。

一句 はからわず 無作に無心に 春の花  てんちょう 

キクサキイチゲ

≪キクサキイチゲ≫

利休梅

≪利休梅≫

満天星の花

≪満天星の花≫

ハナミズキ

≪ハナミズキ≫

無作、無心、融通無碍(ゆうづうむげ)、自然法爾(じねんほうに)に生きる。

そして、それが法に適った生き方である…

これが禅者の生き方であり、仏道を修するものの生き方です。

はからいをすてて生き、それが法に適う。

この境涯にいたれるよう花たちを見習って

一歩一歩進んでいきたいものです。

一句 天仰ぎ 大地に坐り 日の永き  てんちょう




春の花たち。

このところ大変陽気がよく、当店の庭の花たちも次々に開花していきます。

亡き母が植えた山野草や、妻と白鳥から移植した草花たちです。

一句 咲く時節 待ち侘びるかに 春の花  てんちょう

イワウチワ

≪イワウチワ≫

肥後スミレ

≪肥後スミレ≫

一人静

≪一人静≫

ムスカリ

≪ムスカリ≫

ハナダイコン

≪ハナダイコン≫

シバザクラ

≪シバザクラ≫

「もろもろの 山草おのおの花つけて 言葉を持たぬ その優しさよ」歌人 鹿児島寿蔵

上の歌が詠むように、花は語らないから、見る人を癒してくれる

人を優しくしてくれるのでしょう。

「花には 人間のような かけひきがないからいい

ただ咲いて ただ散っていくからいい

ただになれない 人間のわたし」相田みつをさん

花は無心です。

理想追及の極みは「無」であり、

「無」より理想の新天地が生じます。

花たちの姿から学び、この「無」を体得したいものです。

一句 命 ひとしずく宿して 春の花  てんちょう

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